2012/06/06

【日記】一年前を聞き返す。

ちょうど一年前ほど、新地の仮設住宅集会所前でゴザを編みはじめた頃だ。そして今日も新地に向かっている。東北新幹線にのりながら、PCにはいっている1年前の音声記録を聞いてみた。
ボランティアセンター内での音声が多い。支援Pのみなさん、西川さんと企画について相談、センター長さんに企画をすすめてもいいか確認しているところや、社協局長さんから役場の課長さんへとステップを踏んでいく会話、仮設住宅の自治会長さん夫妻に相談していよいよはじまっていく様がのこっている。聞き返すと冷や汗ものだ。想像すれば簡単なことだが、あの状況で「マイタウンマーケット」なんてものを企画し関係各所に折衝するなんて、ありえない危険因子のようだったと思う。「生活支援」の考えかたに、もし重なり合う部分があったとしても、そもそも「生活支援」という言葉すらめぐるめく毎日のなかでまだ遠い先のような感覚だった時期のような気がする。そんな中、言葉を不器用に操りながら「マイタウンマーケット」をアートにも支援にも落ち着かすことなく「マイタウンマーケット」として許可をもらっていった。どうなるかわからない、なんだかわからない、なにかがあるかもしれない、というあらゆるクエスチョンマークを産声にはじまった「マイタウンマーケット」は、いま第四回を経て、そのクエスチョンマークを新しい価値あるものとして変換させつつ保持したまま新地町に立ちはじめている。最初にクエスチョンを浮かべていた人も今はもっとこうしたらいいんじゃないか、ああしたらいいんじゃないか、と一緒に「マイタウンマーケット」をつくってくれていたりする。


待つ事である。形になり、現実になり、クエスチョンの価値がそのまま凝固されていくまで、黙って待つ事である。待つ途中で出会う人びとがいる。一緒につくり一緒に待ってくれる人ができる。常に仕掛けて、出会い、時がくるまで待つ。




北澤潤